ミドリのひとりごと

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zoom RSS ぎょらんざかまで

<<   作成日時 : 2017/06/14 16:06   >>

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小津安二郎の映画に出てきそうな一角を通り過ぎると、右手にお寺があった。
友人に言われた通り、本堂の手前を右に行くと、水場が。
水を汲んで階段を上がるが、殊の外、重いし、階段の一段一段が私には高い。
手桶を2段ほど上に先ず置いてからヨイショと上がり、その繰り返しをしていると、ガラガラと窓が開いた音がして、
「どちらさま?」
姿は見えない。窓沿いに低い木が密集していてわからないのだ。

「はい、森と申します」
「森さん?」
「はい、○○先生の墓参に伺いました」
「あのォ、普通の墓地ではないので、先ず、声をかけていただかないと」
…と、今度は女の方の声で、
「火も使うでしょう?いろいろあるので先に挨拶していただかないと」

おふたりとも、口調がややきつめ。「姿なき声」というのも、何とも言えず不気味。

「スミマセン、今、まいりますので」

いそぎ階段を下りて社務所へ。

「申しわけございませんでした。右へ行くよう指示されたものですから」
「お線香は?」
「持参しております」
「こちらで火をつけますよ。マッチ、ライターでは直ぐにはつかないはずですから」

「はい、こちらです」
「これね、。堅い方ね。これ、つきにくいのよ。こちらにやわらかいのがありますけど」
「はい、では購入させていただきます。いかほどでしょうか?」
「300円から500円ですが…」
「はい、では500円ここに置きますので」
(300円渡したらどうなるか、と一瞬興味は湧いたけど、そこは押さえて…)

「○○先生は指揮もされていたんですよね。先日も、合唱の方が大勢でいらしてたから」
(知ってはいたけど)
「あ、そうでしたか」
「…はい、つきました。気をつけて持って行ってくださいね。階段を上がりきって右手のほんの少し先ですから」
「ありがとうございました。そして大変失礼いたしました」

ー 東京ではお線香は持参せず、それぞれのお寺で買うのが常識なんですよ。今日はいいですから、次からはそうしてください」

(合唱の方がそう言われたことを前以て聞いていたので、どちらさま?の声で、あ、来たな、と思ったのは確か。でも、ここは神妙に行かなくては、と丁重に対応し、それでもこれからの展開をなんとなく楽しみにしていた私)

(最近知ったことだけど)お墓にお水はかけてはいけないことを聞いていたので、それは止めた。
かけるのは本人の自己満足で、故人にとっては迷惑なこと、とテレビで言っていたからだ。
(それも定かかどうかはわからないけど)

かけたらどこからかお二人でご覧になっていて、おや、何してるんですか?と言われそうな気もして。

花容れに花はなく、(ということは午前中、どなたも来ていらっしゃらないようで)水も干上がっていた。きっとお花はいっぱいだから、咲いたばかりのゼヒランサス一輪にしようかしら、と夫に言うと、それはちょっとまずいかな、というので、花屋で供花を買ったのだけど、買っておいてよかった。思えば二束(つまりは一対)にすべきだった。仕方がないので、二つに分けて…。

お線香も、前のが包まれたまま線香入れに横になっていたので同じように入れたけど、包んだ紙がそのままだと問題が生じる気がして、又取り出し、既に紙に燃え移っているところをアッチッチといいながら、はがす。
この様子も、もしかしてモニターで見られているのではと、さらに強迫観念がちらちらと。

(先生に)いろいろお話をして、社務所へ戻り、再びインターフォンを押す。

「ただいま済ませました、ありがとうございました」
と伝えると、今度はイタク優しいお声で、
「ごくろうさまでした」
と、ご住職のお声。つづけて、
「そして、大変失礼申し上げました」
そう伝えると、またしても、
「はい、ごくろうさまでした」

初夏の静寂に包まれた昼下がり。

また、小津安二郎(?)の道を歩いて御田(みた)小学校を過ぎ、通りで待っててくれた車に乗り込み、開口一番、

「おーこらーれちゃった!」

ちょっぴりおっかなく、ちょっぴりおもしろく、そんな小さなストーリーをもった、
音楽評論家・宇野功芳先生のお墓参り。


  ひょっとして、先生、笑ってらしたかもしれない。




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