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ひきこもごも

2017/08/24 09:54
「こんなに泣くのって、あとは、親との別れのときだけかもしれないわね。拓さんはこういう場面でもきっと泣かないわよね」
負けた高校のナインが涙を拭うのを見て夫にひとこと。

すると

「言わなかったったかな?大学時代、野球の対抗試合があったとき、連続で、3本ホームランを打ったんだよ。

「・・・・・・・!」

「ホームランを打つと、ビール1本もらえてね。だから3本」

「初めて聞く話…結構すごかったのね」

ちょっと驚いた、と思ったら、

「言わなかったかな。そのころ、ボディービルもやっていてね」

「えっ!筋肉ムキムキだったの?」

「まあね。別にジムに行っていたわけではないけれど、鉄アレーで毎日、筋肉を鍛えていたんだよ」

結婚37年にして初めて聞く話。

それにしても、高校野球は面白い。

野球のルールさえ知らない祖母が、高校野球だけはかじりついてみていたのを思い出す。

どういう魅力を感じていたのか、聞いておけばよかった。

それにしても、桐蔭はどうして、ファーストに投げたのかな?

セカンドでよかったのに。

一瞬笑ったと思いきや、直ぐに泣かされた桐蔭ナイン。

本当に明暗とはこのことを言うのだと思った。

(大阪桐蔭と仙台育英の試合を観戦した日)

           ーーーーーーー

ピアノの近くのベランダ側の1メートル×7メートルほどの床を張り替えることになった。
ピアノぎりぎりに養生をしたのはいいけれど、床をはがすのに手間取り、時間内に仕上がらず、次の工程が5日後になったので、4日間、ピアノが弾けない。
どうしよう!

ピアノの下も上も後ろもすべて工事のために片付けたら、まことに風景がいい
何にもないということは美しい、とわかっているけれど、工事後、また、もどすことになるのかしら思ったら、気が重くなってきた。
でも、モンマルトルのアパートに住んでいた作曲家サティはピアノの下に寝ていたという。
そのくらい狭かったそうだ。
アパートに前には、ジャカランダが咲いていたけれど、そう、同じ季節だったから、今頃、咲いているのかもしれない。
フランスも久しく行っていないなあ。

           −−−−−−−

いつしか生え際が薄くなった。つまりおでこが広くなった感あり。

…で、いいスムージーがあるという。

キウイ、リンゴ、人参、小松菜、バナナ、そこに水を少し、だそうだけれど、私は代わりにアーモンドミルクを入れる。
あとは、卵の黄身。これはどんなジュースを作っても入れる。
大阪の「エイト」というジュース屋さんでおじいさんがいつも黄身を入れていたから。
あのお店、まだあるのかしら?

これはどのジュースでも、スムージーでも、入れるとまろやかになるし、アミノ酸がきちんと取れるので、おすすめ。


        −−−−−−−−−

スーパーでポテトサラダは買ったことがない。但し、帝国ホテルのポテトサラダは別。あの品の良い味はなかなか出せない。私がポテトサラダを買うのは、たまに帝国ホテルへ行った時だけ。あの味に近づきたいけれど、何かが違う。

ポテトはもちろん皮つきで丸のまま茹でる。玉ねぎ、きゅうり…ハムを入れるのはあまり好きではない。
家庭では、押つぶしすぎず、食感も楽しめる程度に。ビシソワーズも、きれいに濾さない方が私は好き。その方が手作り感が出るような気がして。

マヨネーズは、友人がポテトサラダの時は味の素、だというので、それにしている。
他におすすめがあれば教えてほしい。

確かにキューピーだと、ちょっときついかな?

それにしても、0−157…どこから混入したのかしら?

だから、お惣菜は買わない方がいい。本当に手足が不自由で料理ができない方ならば仕方がないけれど、やはり主婦ならば自分で作るべし、と私は思う。
時間がない、は言い訳にしか過ぎない。
以前からお総菜コーナーが広がっていくことに危惧すら覚えていた。
きちんと作りなさい、これが母の教えだったから。
(だった、と過去形で書かなければならないことが、なんだ悲しい)

でも、デパートへ行くと、お総菜を買っている人のなんと多いこと。
あ、美味しそうとは一瞬思うけれど、どんな油を使っているのかしら?どのくらい時間が経っているのかしら?と思うと、手が出ない。

女の子は一命は取り留めたものの、退院のメドが立っていないとのこと。

可哀相に。

手作りしなかったお母さんに問題があるような気もするけど、ポテトサラダひとつとっても、工場から管理会社を通して店頭へ。お客さんも、どれがいいかしら?と、いくつかは触わることになり。ラップはしてあっても空気に触れる時間がさほどに多いことに危機感を覚える。

   さて、きょうは何を作ろうかしら?



        







































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ちかづける

2017/08/01 18:52
昨日、久成さんと室内合唱団 日唱さんとの初顔合わせの練習があった。

久成さんからご指摘が。

「冒頭、アンダンテとか、歌うように、とかの表示がありませんね」

合唱のどなたからも言われなかったし、私もすっかり気がつかなかった。

ホント、そうね。

…でも、考えてみてわかった。

今回の「花無心」は、気持ちは「声明に近い合唱」のつもりなのだと。

お経ではないけれど、悟りのような無形を音楽で包んだような、和と洋の入り交ざった曲なのだと。

くれぐれもこのように、と押しつけないで、奏者のそれぞれの年齢や、思い、感じ方で歌ってください、とでもいうのかしら。

人間、その日によってバイオリズムも変わるわけだし、それによっても演奏も変わる。

100%こうしてください、と書く人もいるでしょうけど、私は20パーセントくらいは、どうぞ、あなたの感じ方でよいですよ、と思っている稀有(?)なタイプかもしれない。
指示するほうも、完璧に作り上げた、という感覚はないので、実際の演奏を聴いて、また、こうした方が、という気持ちにもなる。

さように、心や感覚が揺れ動くのが人間ではないかしら?

いつも言うように、おぼつかなさ、ズレ、間、余白、たどたどしさ、行間、余韻、気配…そういうものに心惹かれているので、実はそういう音楽を求めているのは、たしか。

即興が好きなので、人にもそれを求めようとしているのかもしれない。

ピアノと合唱では、ピアノのソロのところは別としても、合唱と重なるところは、伴奏という役目があるので揃わなくてはならないけれど、ヴァイオリンは、(時には重音があるけれど)殆どは単音。
今回は、20人の中に、別のヴァイオリンの声が顔をのぞかせた形になるので、きちんと揃えずとも、多少のずれも、音程のかすかな違いも、むしろ、それが味わいになるような気がしている。

久成さんにも、合唱の方にも、捉え方が難しいかもしれないけれど、二つを無理して融合、というか、合体させず、「お互いに近づく」という思いで、けれど詩の想いはそのまま共有しつつ演奏していただけたら、きっと、自然に伝わるのではないかと。

そう、イメージの問題かしら?

先日、とあるコンサートで、ソプラノと久成さんのヴァイオリンが全く同じ高さで同じ旋律を演奏したとき、あまり心地よく伝わってこないことに気付いた。正直、ビクっとした。これは私も気をつけなくては、ということで今回、そんな箇所のところでオクターブ上げていただいたら、その方がずっとよくなり…。

そのように、いろいろなコンサートに行っていれば、必ず何か得ることがある。ありがたい。

演奏したご本人も、あれは弾いているほうも気持ち良くなかったと。

そうなんだ、と納得。

歌とピアノの関係はよくわかっていても、合唱とソロヴァイオリンの関係は当然異なり、まだまだ未知の世界。今回はプロの皆さんによってお勉強させていただき、心から感謝している。

  一(いち)なければ 百無し  一(いち)あれば百あり

                     画家 小倉 遊亀


     なぜか久々に、この言葉をかみしめている。













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