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ミドリのひとりごと

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おとでしる

2017/03/27 18:52
雪の奥穂高に登ったとき、まずは涸沢(からさわ)ヒュッテまでいく途中、私の前を歩いていたアルピニストの長谷川恒男さんが、時折サッと急いで行かれるので、
「どうして時々早く行ってしまうの?」
と聞くと、
「雪崩の音を確認するためだよ」
と。
そうか、雪崩の発生は先ず音でわかるんだ、と妙な納得をしたことを覚えている。
今回はわからなかったのか。

冬山を安全に登るための訓練で、若い人が命を落とすなんて。
長谷川さんから、雪崩に遭った時、助かるために先ずするべきことを聞いたことがあるけれど、訓練はそこから始めるべきではなかったかと。

そういう長谷川さんも、パキスタンのウルタルU峰で雪崩で命を落とした。
あれはスケールのとてつもなく大きい雪崩だったそうだ、
訃報を耳にした時のこと、今でも、映画の一シーンのように覚えている。
そう、今年で30年。
行きてらしたら、いろいろと楽しかっただろうな、としみじみ思う。

今回は雪崩注意報も出ていたというから、今後いろいろと問題になることが多くなるのでは、と懸念する。
心肺停止の人は大田原高校の生徒が殆どだとか。大田原は、毎年ペンクラブが講演会や対談を催しているところで、私も3,4度、出演している。
親近感があるところだけに、尚のこと、心が痛む。

    



昨日、朝、テレビをつけたら、百名山の番組で、「ほたか」と言っているので、穂高だとばかり見始めたら、群馬県の『武尊(hotaka)』だそうで、それがなかなかいい山。
ああ、行きたいなあ。
でも、もう無理かなあ、と。

初めて知る山だけど、頂上までは無理としても、機会があったら、ひとりで行かれるところまで行ってみたいなと。本気でそう思ってしまった。
山登りの一式はまだ残っているので、今度、整理箱を見てみよう。
鮮やかなピンクのカッパの上下は、長谷川さんが選んでくださった。派手過ぎ、と言ったら、このくらいのほうが見つけやすくていいんだよって。いえ、登山靴も、ピッケルも、アイゼンも、どれも長谷川チョイスだった。
ピンク、いまでも入ればいいナ。それとも。

雪の奥穂、雪の八ヶ岳の赤岳、雨の剱岳…みんな、このピンクを着て行った。



「ミドリちゃん、銀座のお散歩と同じだから、一緒に行こうよ」

「どこへ?」

「おくほだか」

「……」

 だまされてよかったなんて思うこと、人生、そんなにないもの。

      長谷川さん、ありがとう。感謝してます。





  



















    





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ろくじょうのおもいで

2017/03/08 10:05
きょうは「ミモザの日」。

昨日、宮田花店で、一房340円のミモザを8束買った。

本来は男性から女性へ「いつもありがとう」と渡すのが習わしなのだが、さっき、買った本人が一房、夫に手渡して、
「私にくださらない?」
と言ったら、
「おめでとう」ですって。
「エッ、何が?」
「女性でおめでとう」
となんだか意味不明なことを。
そうね、私が男性だったら、この人とはいっしょになってないもの、と思ったら、そのオメデトウがまんざらでもない気がして、クスッと笑ってしまった。

さて、その宮田花店はどこにあるかというと、地下鉄「本郷3丁目」を出て東大赤門方面に信号を渡ってまっすぐ行き、3本目くらいの道のむこう角。手前の角は昔、クスリ屋さんだったけど、今は…なんでしたっけ。
そこへ行く途中に「ルオー」という、随分昔、火星ちゃん(今の常陸宮殿下)がよくカレーを召し上がりにいらしていて、話題になった店があった。
今はもう少し赤門寄りに同じ店が移転して、以前と変わらぬ感じである(らしい)。

実は宮田花屋さんのところを左に曲がって15メートルほどの右手、一階が駐車場になった家が、私が昭和40年4月から44年3月までお世話になった父の知人の家。

本当に美形のご一家で、おじ様とおば様、私と同い年の息子さんがいらした。
二階は10畳の息子さんの洋室、その隣が6畳の和室。そして小さな納戸。

どこに住むかは父が吟味して決めたようで、私は言われるがまま。
ひとり暮らしなんて両親も考えていなかったようだし、私もそう。
藝大には寮なるものもあったけど、それも頭にはないらしかった。

初めまして、森ミドリです。どうぞよろしくおねがいいたします、と玄関先に立ったことを、今でもよく覚えている。

メガネの卸業の傍ら、仕事場でもメガネも仕上げていらしたので、時折、お客様ともお目にかかったことがある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

2017年2月28日(火)
おじ様とおば様のお嬢さん(といっても私の5歳上)の昌江さんから初めてお手紙をいただいた。

おば様が背骨の殆どが圧迫骨折で車椅子となり、ホームに入られたこと。

コンサートのお誘いをいただいて、本人が行かれないのであなた行ってね、と言ってきたけれど、当日は先約が入っていて、伺えなかったこと。

家を取り壊し、マンションを建てるので、解体すること、…云々。

おば様のこともとても気になったけど、取り壊しということに反応し、先ずは茂憲くんにTEL。

ご無沙汰のご挨拶もそこそこに、いつ取り壊すのかを伺うと、

「本当は明日の予定だったけれど、業者の都合で、少し伸ばしてほしいと言ってきてるんで、あと1週間くらいは、このままですよ」

とのこと。

「どうしても家に挨拶したいし、見ておきたいの」

というと、どうぞどうぞ、とのこと。

安心して、昌江さんに電話を入れ、昨日、本郷の家でお目にかかることに。

家は昔のまま。お風呂が直されていた以外は全く当時のままだった。

でも、壁のタイルは昔のままなんですよ、というのにはびっくり。

(実は外観は何度か見に来ていた私)

ドキドキしながら、階段を上がる。こんなに急だったの?

昔はトントンと(そう、私は階段が大好きだった)平気だったのに、8段の階段、踊り場、また、
8段が相当きつい、ケッコウな勾配だ。

手前が茂憲くんの部屋。お手洗い。洗面所。これまた当時のまま。

いよいよ、48年ぶりに入る私の部屋!

あの時と同じ。両親が用意した花柄の赤い絨毯は、畳の上に敷かれたまま。

私が出て行ったあとは納戸と化し、茂憲君は結婚を機に裏の駐車場に家を建てたので、そこの部屋も納戸となったとか。人が住まないことが、昔のままを維持する要因になったようで、私としては、なんとも嬉しい形となったのだ。

ここにピアノがあって、ここに炬燵があって…。

ベランダから見えた富士山や、当時の後楽園の灯りも見えるはずもなく、ビルに立ちふさがれている。
そうよ、48年ですもの。

階段に滑り止めに(?)敷かれた敷物は、昌江さんが嫁いだ先の会社の当時の新製品で、いつまでもつか、と言い合っていたらしく、まあ、50年は持ったわね、とみんなで大笑い。

壺の柄も、徐々に、そうだった、この柄だった、と記憶が蘇ってくるから不思議だ。

今回よく聞いてみたら、この家が建ったのは昭和38年のこと。昌江さんのお部屋はのちに私が住むようになった和室。でも、昭和39年に24歳で結婚して家を出られたので、丁度部屋が空き、私の下宿先に決まったのだった。

「じゃぁ、もしまだ25歳まで独身だったら、私は入れなかったわけなのね」

これも面白い。そうだったら、どこに住んでいたのかしら。

昌江さんとは、3〜4回しかお目にかかった記憶がないけれど、私(ミドリ)が餃子をつくってご馳走したこと、3才のご長男の寿一(としかず)くんにピアノで遊んであげたこと、誰からか、薔薇が百本届き、(私がまだ帰宅しない前に)昌江さんが里帰りされて、まあ、誰に来たの?えっ、ミドリさんに?と目を丸くしたことがあることなど、よく覚えていらした。

そのあたりは、全く記憶にない。
好きな人なら覚えているでしょうから、多分、そうでない人からきたのかしら?
ほんとうに、心当たりもない。(わすれてしまってごめんなさい)

昌江さんとは歩いて15メートルの有名な金魚屋さんの経営するレストランでお昼をいただき、それこそ、3時間近くお話を。

だって、ゆっくりお話しするのは初めてだし、なんといっても50年、なのだから。

帰り際、家に深々とお礼をし、再度、外観をカメラに収めて、ミモザを買って…

こころから嬉しく、心からさびしい、感慨深い一日となった。


帰り際に空からポツンと来たのは、雨ではなく、涙のような気がして。

    そういえば、たしか、おじ様のお通夜の日も雨だった。














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いっせきさんちょう

2017/03/01 15:29
「作曲に疲れたら、エッセイを書き、そして、また作曲へ。そしてまた疲れたらエッセイを…そうすればいいんですよ」



何年も何年も前のこと。

福井のホールから駅まで、車の中でご一緒した團 伊玖磨さんが、私の質問に対してそう答えられた。
團さんは右のシートだった。
深みのあるお声が印象的。
一度、自宅にもお邪魔したこともある。

あれは、「私の城」というテレビ番組。
少し前にブラジルから帰国したばかりだったので、カメを集めていらっしゃるという情報を得て、水晶の小さな亀を買ってきたので差し上げた。

「おや、ありがうとう。たまたまきのう、家中の亀たちを数えたら、499個あったのよ。森さんので500個目だ」


黒川紀章さんの告別式で、ご子息の團 紀彦さんと隣り合わせた時、あのカメさんたちはどうされましたか?と聞きたかったけれど、流石にあの場所では聞けなかった。
もう、処分されたのかな。

お正月にもお呼ばれしたけれど、(行けなくはなかったのに)、とても遠くて、お断りした。
今なら、飛んでいくのに!
太平洋がパノラマとなるほどの大きな一枚ガラス…あの家はどうなっているのかしら。


きょうは、ヴァイオリンの小品を作曲したので、(おまけにカザルスの鳥の歌のヴァイオリンのための編曲も)、こうして「ひとりごと」を。
安野先生が「鳥の歌」がお好きなので、私の小品と共に、津和野で佐藤久成(ひさや)さんに演奏していただきたいなと。
(珍しく)殊の外、仕事が捗って、それで、團さんの言葉を思い出したのだ。
奥様もおきれいな方だった。
ほとんどの部屋にドアのないユニークな家。
風通しを良くするためか、単に開けるのが面倒でいらしたからなのか、お聞きしたはずなのに、忘れてしまった。

さて、

小豆の茹で汁を朝晩、食事の30分前に飲むと体重が減る、というので、2日まえから実行している。
たまたま夫の好きなぜんざいを作るために2袋買ったあったので、レシピ(?)通り、小豆50グラム、水200CCで30分茹でたものの、もちろん小豆は堅いまま。
2度も小豆を捨てたけれど、痩身用には最初の茹で汁をとっておけばいいわけで、あとから差し水をするのだから、そのまま水を足していって、灰汁をとり、少し柔らかくなったところで火を止めて、砂糖とひとつまみの塩を入れ、再び煮ればぜんざいになることに気付いた私。
(単純なのに、そんなことに気が付かない…これが古稀なのかしら?)

「おぜんざい、召し上がる?」

そう聞くと

「うん」

という返事があったので、久々にぜんざいを作った。

私のオナカは、小豆の茹で汁漬け。

アー、ズキズキしてきた、なんて冗談。

予定では、2週間で3,75キロ、痩せることになったいる。

乞う、ご期待を。


で、もうひとつ一石二鳥のお話。あ、三鳥かもしれない。

昼食はお稲荷さんにした。

10枚のお稲荷さん用のあぶらげのうち、8枚をいなりずし用に。
その煮汁を使って、卵3個のだし巻き卵を作る。写真を撮りたいくらいに、ふっくらと形よくできると気持ちもいい。
大根おろしでいただくことに。紫蘇も添えて。
のこりの2枚は拍子切りにして、木綿豆腐と小松菜で炒めた。

正しく、バアチャン料理だ。


昼食後、奄美から来た「タンカン」をいただいているとき、テレビで田中健さんを見た。

「飛行機で隣同士になったことがあるのよ、通路を挟んでひとつ前の席にあの方がいらして…、ええと、ホラ、監督の、ホラ、岩下志麻さんのご主人の…」

「篠田さんね」

夫が間髪入れず答える。

「すごいのねえ。私よりずっと記憶力がいい。…で、田中さんがまだお仕事でご一緒したたことがないというので、羽田に到着して降りるとき、篠田さんにご紹介したの」

その篠田さんの大田区のお家へも伺ったことがある。
何の曲だったか、篠田さんはピアノがお上手で、演奏も。
ドビュッシーだったかしら?
そうこうしていると志麻さんが帰宅されて、あーら、いらっしゃい、と顔を出された。
声が映画のままだった。

話が終わると、夫は、ふーん、というだけなので、

「失礼しました」

と2個目のタンカンを取りに立つ。


そういえば昔、お昼の生番組で司会をしたとき、何社かのナマコマもさせられた。最後、

 ♪ 亀田のあられ、おせんべい ♪  

という歌で終わる亀田製菓もそのうちのひとつ。

今、そこのおせんべいにはまっている。

なのに、名前が出てこない。

歯触りがたまらない。ええと、なんだっけ。

ま、いいわ。

その2枚入りを二袋。でも、ランチにこんなにいろいろいただいて、はたして、体重は減るのでしょうか。

  それでは、午後のお仕事、開始。

    なんでもいいから、食事はよく、カメダ。

















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すいせい

2017/02/26 10:21
(車の中で、助手席の人が言う)

「たとえば、5つ(作曲・編曲・執筆・ピアノの練習・詩さがし)しなければならないことがあるとするでしょ?ウーン、どこから手をつけていいのかと考えあぐねているうちに日が暮れてしまうとしたら、その人はどういう人になるのかしら?」

(運転席のひとが答える)

「バカとしか言いようがないね」

間髪入れず返ってくる。

ああ、助手席は私、運転席は夫。

「ああ、やっぱりそうなのよね…」

妻は静かに呟く。

それが妻のこととわかっていての返事だということもよーくわかっている。

(呟きはもともと静かな行為なので、俳句的には「静かに」は余分な形容詞かもしれない。俳句はとある事件から「廃句」にした私。
でも「削って膨らませる」ということを教わって、エッセイには随分、役に立っているような。
そのことに触れると、(元)俳句の先生が
「エッセイに役に立つといわれてもねえ」
と笑っていらしたことがある)

2月4日のコンサート「来し方 そして 行く末」で、記念版として、ピアノでの即興演奏のCDをリリースした。

反応や感想には、思いがけなく共通した言葉があるのに驚いている。


なので、もっと多くの方にお聴きいただき、感想を伺えたらと。

56分、ノンストップ、ノーカットのCDです。タイトルは、

『水声(すいせい)』

たまたま訪れた島根県出雲の鷺浦湾(さぎうらわん)で、年に1〜2度しか味わうことのないような感覚を覚え、翌日、東京のとあるホールで1時間、その思いに包まれたまま、ピアノに向かった。
もちろん、テーマも何も決めず、自分自身がどう弾き始めるかにも興味を持ちつつ…。

ただ、コンサートでPRすることを忘れた、というか、そういうのをどうも好まないので、あとで、そうだったの?という方もいらして。(これもおバカさんといおうか)
チラシにはそっと書いておいたのに、意外に隈なくご覧になる方は少ないようで。

本当は安野先生に絵をお願いしたかったのだけれど、今回は時間がなく、ニュージーランドのロトルア湖畔にて早朝、宿の前の小さな桟橋に走って行って、お願い、と自分のカメラで撮っていただいた一枚。(撮影者は、編集者の潤子さんか、カメラマンの藤崎さんか、まだ不明)
それもどこからかポコッと出てきて、まさに、これをお使いくださいな、と誰かに差し出されたような感じで、今でも不思議でならない。


3月末までは、送料無料。で、一枚2500円.。お申し込みは、

TEL 03−3493−6420

FAX 03−3493−7220

メールは info@morimidori.com

までどうぞ。お待ちしております。

尚、表紙の真裏に(私のCDでは初めて)珍しくプロフィール、そして文章、手書きの五線譜も載っていますので、一度引き出してご覧くださいませ。

音符は、自身の演奏を後で聴いて、ああ、こういうテーマだったのね、と採譜して少しアレンジしたものです。自身の演奏を採譜、というのも、即興ならではのことでしょうね。





















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あうるすぽっと あいうえお

2017/02/21 11:07
東池袋にある「あうるすぽっと」で、日本語の大御所・鴨下信一先生の指導による朗読のワークショップが始まって10周年、というので、それを記念し、6月24日、25日と公演がある。

ここの素晴らしいところは、プロ、アマチュアに関係なく、生徒となれるところだ。といっても、希望者が多いので、毎回、選考がたいへんだとか。

有名な俳優さん、例えば宇津井健さんや、歌手で言えば一青窈さんも生徒だったことがある。
今も、NHKの現役アナウンサーや、元アナウンサー、現役の声優さん、俳優さんがいる。
昨年始めたばかりの女の子もいる。92歳のおばあちゃまは、みんなの中で一番褒められるほど素晴らしい教養のある方。そんな人たちが一体となって舞台に出る。

そう、20代から90代まで。みんな同じようによく注意され、叱られ、怒鳴られる。

鴨下先生の構成された台本「日本の詩歌」を25人ほどの人たちでいろいろな形で読む。

19日は11時から19時までみっちり練習。
私なぞ、11時少し前に行ったら、そこへ掛けて、と言われ、先生の横に座らされた。
つまりは音楽担当、ということで先生側に座らされたようなのだ。
けれど、朗読の生徒でもある。まあ、困ったのなんのって。
ずーっと下を向いていた。

そのうち練習が始まって、やはり恥ずかしいので、這うようにソーッと反対側の席へ。


万葉集、古今和歌集、小倉百人一首から始まり俳句や詩や金子みすず、そして、阿久悠などの現代の流行歌、演歌も…。

とても面白い。けど、とても難しい。

そして、難問が降りかかって来た。

童謡を2曲、メロディーを弾きながら朗読することに。そしてもう一曲、流行歌をメロディーを弾きながら朗読、と言われてしまった。

これはいわゆる、ピアノを弾きながら愛の讃歌を歌ったり、朗読をしながら即興で演奏していくのとは訳が違う。

両方とも主人公。もちろん、朗読の場合は、演奏は準主役なのだけれど、メロディーはみんなが知っているので、中にはそちらにも耳を傾ける人がいるかもしれず。


この、右脳と左脳がくっつくような行為は、本当に体に悪いのに、また、仰せつかってしまった。
(実は17日に横断歩道でちょっぴり捻挫をしたけれど、一気に痛みも飛んで行った感じ)

あーあ、重荷。けれど…やらなくては。

身体に叩き込むしかない。こんな行為が好きな人、得意な人がいたら、お目にかかりたい。

これも、お勉強と思って泣く泣く、いえ、ありがたく、することにした。

だって、鴨下先生には逆らえないもの。口ごたえだって、本当によしとされない方なので。

24日(土)は昼間、25日は(日)は夜になるかと。

どうか「ひやかし」にいらしてください。
そして、朗読に、というか、日本語に更に興味を持って、私も(ぼくも)参加してみようかな、と思っていただけたら、こんなうれしいことはない。


       あめんぼ あかいな あいうえお

       ミドリは  あおいな  なにいろだ 












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どすこい

2017/02/18 23:04
      見て過ぎし ふきのとうへと あともどり

奥穂高へ登る前、雪道を歩いていて、出合った時の光景です。

きょうは啓子さんが実家で摘んだフキノトウを届けてくださったので、天ぷらにして幸せな夕食でした。階下の一人住まいのかたにもアツアツをおすそわけ。
まあ!と喜んでいただき、こちらも幸せな気分になり。

なんというやわらかで美しいミドリ色なのでしょう。
その姿は芸術的でもあり、そして、そこからは想像できないようなほろ苦さもあり、おそらく取り立てのフキノトウをいただくのは一年に一回なので、大切に味わいました。

藝術的と言えば、佐藤久成さんのライヴトークが神保町のブックカフェであったので出かけたのですが、今回、弓を持つ右手の動きの美しさに圧倒されました。
どちらかというと左手に見入ってしまうものなのですが、右手は更に芸術的だとつくづく感じ入った次第。

そういえば、佐渡ヶ嶽部屋のおかみ、真千子さんからメールが来ました。
明日19日、19時から、BS/TBSで、「お相撲さん歩」という番組があり、数か月にわたって取材を受けたものがオンエアーされるので、ぜひごらんになってね、と。
お時間がありましたら、ぜひ、ご覧くださいませ。

           どすこい どすこい!









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こうかふこうか

2017/02/16 18:34
そう、思い出した。
コンサートでベートーヴェンを弾いた後、出席をとった。
幼稚園のクラスメイトが1名、小学校が3名、中学が2名、高校が2名、大学から1名の友人がまるで代表のごとく来てくださったから、本当にありがたい。

「幼稚園で一緒だった房子ちゃん」
「は〜い」
「小学校と中学で同級だった野津くん」
「はい」
「小学校、中学校ともクラスは違ったけれど、ピアノの先生が同じだったマリちゃん」
「フフ、はい」

何の打ち合わせもない、始まる前の咄嗟の思いつきなのに、みなさんありがとう。

野津君は元・東大教授。それも、宇宙化学、地球化学が専門。私にはよくわかんない分野。

マリちゃんは、津田塾大学の学長を3年務めて、昨年終えられた人。

愛子ちゃんしかり、ホント、私を除いて、頭脳明晰な人ばかり。

その後、幼稚園歌、小学校、中学校、高校、大学の校歌を弾くつもりがすっかり忘れてしまった。NHKのひとのせいだ(と思っている)。

小学校歌、大学校歌については、面白いストーリーがあったのに、それも飛ばしてしまった。


校歌と言えば、遡ること四十数年、TBSテレビ「8時の空」で、校歌を募ったことがある。

夏の高校野球の予選で落っこちた学校、つまりはテレビで校歌の流されるはずもない高校の校歌を演奏しましょう、ということになって募集したら、集まるの何のって。
こういうことをするのが大好きな私。
私の高校など、初戦で敗退したことをよく覚えている。。
それを思い出したので、「頑張ったのに、結局、破れて、校歌の歌われない学校に手を差し伸べましょう」という発想。
楽しかったな。

中にはえらくモダンな校歌もあって、面白かった。
残念ながら、私は高校の校歌の作曲は未経験。

幼稚園、小学、中学だけ。
明星大学の作曲は師・池内友次郎先生だけど、お披露目会では、伊原直子さんが歌って私がピアノ伴奏したことをよく覚えている。その時のソノシート、どなたかもっていらっしゃらないなしら?ソノシートなんて、死語かもしれず。


私の卒業した小学校の校歌については、こうかふこうか(?)本当におどろくべき話があるのだけど、それは、また今度。

        

      










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