ミドリのひとりごと

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<<   作成日時 : 2017/08/01 18:52   >>

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昨日、久成さんと室内合唱団 日唱さんとの初顔合わせの練習があった。

久成さんからご指摘が。

「冒頭、アンダンテとか、歌うように、とかの表示がありませんね」

合唱のどなたからも言われなかったし、私もすっかり気がつかなかった。

ホント、そうね。

…でも、考えてみてわかった。

今回の「花無心」は、気持ちは「声明に近い合唱」のつもりなのだと。

お経ではないけれど、悟りのような無形を音楽で包んだような、和と洋の入り交ざった曲なのだと。

くれぐれもこのように、と押しつけないで、奏者のそれぞれの年齢や、思い、感じ方で歌ってください、とでもいうのかしら。

人間、その日によってバイオリズムも変わるわけだし、それによっても演奏も変わる。

100%こうしてください、と書く人もいるでしょうけど、私は20パーセントくらいは、どうぞ、あなたの感じ方でよいですよ、と思っている稀有(?)なタイプかもしれない。
指示するほうも、完璧に作り上げた、という感覚はないので、実際の演奏を聴いて、また、こうした方が、という気持ちにもなる。

さように、心や感覚が揺れ動くのが人間ではないかしら?

いつも言うように、おぼつかなさ、ズレ、間、余白、たどたどしさ、行間、余韻、気配…そういうものに心惹かれているので、実はそういう音楽を求めているのは、たしか。

即興が好きなので、人にもそれを求めようとしているのかもしれない。

ピアノと合唱では、ピアノのソロのところは別としても、合唱と重なるところは、伴奏という役目があるので揃わなくてはならないけれど、ヴァイオリンは、(時には重音があるけれど)殆どは単音。
今回は、20人の中に、別のヴァイオリンの声が顔をのぞかせた形になるので、きちんと揃えずとも、多少のずれも、音程のかすかな違いも、むしろ、それが味わいになるような気がしている。

久成さんにも、合唱の方にも、捉え方が難しいかもしれないけれど、二つを無理して融合、というか、合体させず、「お互いに近づく」という思いで、けれど詩の想いはそのまま共有しつつ演奏していただけたら、きっと、自然に伝わるのではないかと。

そう、イメージの問題かしら?

先日、とあるコンサートで、ソプラノと久成さんのヴァイオリンが全く同じ高さで同じ旋律を演奏したとき、あまり心地よく伝わってこないことに気付いた。正直、ビクっとした。これは私も気をつけなくては、ということで今回、そんな箇所のところでオクターブ上げていただいたら、その方がずっとよくなり…。

そのように、いろいろなコンサートに行っていれば、必ず何か得ることがある。ありがたい。

演奏したご本人も、あれは弾いているほうも気持ち良くなかったと。

そうなんだ、と納得。

歌とピアノの関係はよくわかっていても、合唱とソロヴァイオリンの関係は当然異なり、まだまだ未知の世界。今回はプロの皆さんによってお勉強させていただき、心から感謝している。

  一(いち)なければ 百無し  一(いち)あれば百あり

                     画家 小倉 遊亀


     なぜか久々に、この言葉をかみしめている。














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